My beginning,my eternity
2378 words(11min read)
初宇津(のつもりで書いたもの)です
2020/2/23 00:00
「原田さん、あなたは。いずれこの出来事を作品になさる日がくるのでしょうね」
「その時はどうか、私のことは美化しないでください」
「背徳的盲信者は地獄に堕ちたと、正しく描いてください――」
……少しのあいだだけ、この部屋にも灯りを点けましょうか。ええ、今だけ。
天井の電灯ならスイッチひとつで済みますが、生憎私には眩しすぎる。それに何年も使っていないので、点くかどうかもわからない。ですからテーブルランプだけです。
………………………。
ずっと昔から、自分のことを文章にされるということに対して居心地の悪さを感じていました。今もなお、そうなのです。
これは、先ほど受け取った『至高天研究所』の新しい所員名簿です。とはいえ年度更新により数人の名前が入れ替わっただけで、一番最初の頁に『大司教:宇津木徳幸』と載っている部分は前のものとなんら変わっていません。こちらの配布用リーフレットには短い文も添えられていますよね。『全人類に神の愛を伝え、皆さまを至高天に導くという使命を果たします』…………。
…………昔は、こんなものは全部嘘の記述で、まやかしだと思っていたんです。
家柄や、学歴や、役職……、それらは自分という人間に貼り付けられたラベルのようなものだ。それでいて、外面の自分を定義する、簡潔な記述の連なりでできたひとつの鎖のようなものだ、と。
書かれた内容が全てまぎれもない事実だったとしても、そこには名前に、枠にはめられた、自分ではない何者かがいるだけ。誰も俺……いや……私自身を見てはいないと。
ね……、他人はどうしてもラベルで人を判断する。でもその記述の中に本当のその人は、本当の自分はいないのだと、そう思っていたんです。
私はそのことが嫌だった。日々鬱屈としていました。いくら嫌だといっても、できることなんてなかったですから。
もちろん、嬉しかったときもありました。『アカシアの民』会員名簿に『副代表:宇津木徳幸』と載っているのを見たとき。その後『ホスト』と称されたとき。ついこの間までただの学生だった自分には身に余る地位だった。創の側にいられる幸福を感じた。
けれど幸福を感じたのは短い間だけだった。こんな地位もやはり、自分の……宇津木の家柄から当てがわれたものだ、と考えてしまった瞬間から、また窮屈な心地にもどってしまった。
以前、原田さんに『テンプレート』と言われたときは本当に驚きました……そして少し哀しかった。知らず知らずのうちに、私は私ではない何者かを演じていたのですから。そうやって振る舞っていると本当に心に負担がなかったのです。
結局、短い言葉で、人の人生なんて簡単に固定されてしまう。嘘の言葉で…………。
けれどある時、その考えが誤りであることを知ったのです。
いつ、かははっきりと覚えていません。勉強で『神曲』を読んでいたときだ、ということだけ覚えています。
『神曲』。ええ、原田さんがよくご存じでいらっしゃる、あの。
あの本では無数の人間がダンテの前に入れ代わり立ち代わり現れる……そのことについて考えていたんです。
ある人間のことを克明に描き、知らしめようとしたときに、ふつうの作家、ふつうの作品なら何頁を費やすでしょうか。100頁?1000頁?それも可能ならば、のことでしょう。
ところが『神曲』では、いくつかの三行連句(テルツァ・リーマ)のみでひとりの人間を完全に描写するのに事足りる。なぜなら、ひとつはダンテの詩の才がずば抜けていたから。もうひとつは、彼ら全てが死者だったからです。……ふふ……原田さんに私が『神曲』の講釈をするなんて、今じゃもうおかしいですね……。ですがまあ、もう少し独り言を続けさせてください。
そう……。死者には、もう記述しか残らない。すでに終わった生をその結末から俯瞰する、永遠に凍りついた、無味乾燥な短い言葉だけ――もっとも、『神曲』でそれらがひどく美しい韻律に仕上がっているのは、他ならぬダンテの才ゆえでしょうが――。ともあれ、もしそれらがどれだけ実情とかけ離れていても、それに異を唱えられる人間は誰もいなくなる。
全てが『記録』となり、それによって死者は『再生』される……作品の中で蘇る……。それがたとえ読み手にどう解釈されようと、根拠は記述の中にしかない。記述だけが、この世にただひとつ残る、真実に限りなく近い何かになってしまう。
私は自分で発見した事実に納得するしかなかった。なぜなら、これこそがまぎれもなく私たちの指す「神の愛」なのだと……自分の中ではっきりと腑に落ちてしまっていたから……。
………………。
ですから……、私はその事実を逆手に取ることにしたのです。
原田さん。私はあなたを信頼しているのです。
いずれ、あなたが神の愛を受け入れるのなら。あるいは抗うのなら。私のことも作品に描くのでしょうね。
その時は、私のことはこう描いてください。『非道で利己的で身勝手な、背徳的盲信者は地獄に堕ちた』と。
それこそを、あなたの作品における「真実」としてください。「正しさ」としてください。
多くの人間が私を憎むでしょう。あるいは憐れむでしょうか?悼むでしょうか?いずれにせよ、なんとでも言えばいい。
宇津木徳幸という人間の結末など、私にはなんら問題ではないですから、あなたという作家にどうぞ差し上げます。
その代わり、私が見たはじまりの星は――あの永遠とも思える一瞬の記憶だけは――、あちらまで持ってゆきますので、あしからず。