Hasta La Vista | 蛇淵と嘉納
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蛇淵と嘉納

4791 words(22min read)

DLCでの会話の後 本編の手前の時期

2019/6/3 00:00

 ものごとにはなんでもふたつの顔があり、俺たちはいつもそのどちらかを見ている。ある時にそれが今までとは正反対のように見えたとしても、それじたいは少しも変わっていない。それを眺める俺たちの位置が変わっただけなのだ。そのことに気がつける人間はそういない。目の前で起こっていることに手一杯だから。

 祈りと呪いが同一のものであるならば、はじめからおわりまで美しいものなどこの世にはないのだろうか。

 真剣に祈る、あるいは呪う瞬間に、両極にも見えるふたつの差がほんの僅かでしかないことに人は向き合えるだろうか。

 もしそれに気付いてしまったのならその人が抱く想いの方向性は全く失われてしまい、その意味は宙へ浮く。誰だって願いが反対の方向にはたらいてほしくはない。けれど、すべからくそうなってしまうときがある。   そのとき人は自分の行動の無意味さに、ばからしさに、とても耐えられない。

 


「ま、そういうことになるねえ」

 皿からいちごドーナツをつまみつつ淡々と嘉納は答えた。控えめなピンク色をしたトッピングがぱらり、とテーブルに散った。

「そう、か」俺は歯切れ悪く答えた。「すまない、長々と、とりとめもなく喋ってしまって」

「いーよいーよ」もぐ、と嘉納の口が動く。確かしっとりした生地を使った期間限定、とあったものを、彼は心ゆくまで咀嚼し、飲み込んだ。

「うーん、蛇淵サンはまだ"酔いきれて"ないからね。ほんと、その答えだったら連中のほうがきっちり出してるけど」

「連中」

 力なく反復する。その単語がここでの彼以外の人間、つまりは主に自分たちのような汚れない白衣を身に着ける者たちを指していることはわかっていても、今はたしなめる気力を持たなかった。彼らの持つ答えに納得できずに、今自分は彼と話しているのだから。

 嘉納扇にこの漠然とした思いを打ち明けてみようとしたのは正しかったと思いたい。実際、この瞬間にもかなり微妙な不安に襲われている。紙ナプキンで大ざっぱにテーブルを拭っている男の感情はどうにも読めない。子どものようなふるまいを見せ、どうにも距離感がつかみづらい。

 それでも実行に移したのは、男がこの施設の中で誰よりも異端だろうけれど、同時に誰よりも理性と冷徹さとを持ち合わせていると判断したからだ。気まぐれで御しにくい性格と思っていたけれど(噂によるとかなり気性が激しいと聞いていた)、ダメ元で出張セミナーの折に購入した、以前彼が口にしていた店のドーナツを提げていったところ、嬉々として時間を設けてくれたのだった。

「それにしても笑えるな~、宗教団体の幹部からお悩み相談受けるなんて」

「…………そうだな」

 いきなり痛いところを突かれ、そう返すしかなかった。だがこれくらいキツいほうが喝を入れられた気になる。新入りの身でヒョイヒョイと昇進してしまった自分にはこれくらいがちょうどいい。

 わざわざ手土産を用意せずとも、司祭の相場さんをはじめ、耳を傾けてくれるであろう優しさと良識を持つ人物は周りにたくさんいる。けれどだからこそ、彼らの信条に踏みこんでしまいそうな相談は、したくなかった。

 名残惜しそうに手元のドーナツを食べ終えた嘉納は上半身を前に乗り出した。

「あ! 別にほんとに笑ってるわけじゃないし、嘉納さん元々ほら、こういう人間だから! 神ドーナツのぶんは真面目に話聞くからね!」

 ドーナツに対しては妙に律義な彼に、思わず小さな笑みをこぼしてしまった。

「…ありがとう」

「いやー、真面目だよね~~蛇淵サンは」嘉納は宣言通りするすると話を進めた。「でもさあ、初鳥とかいう教祖が死んで、どっちみちここって、宗教団体としては一回ほぼ壊滅してるっぽいし、蛇淵サン一人がそんなに気にしなくていいんじゃん?」

 俺はつい視線を上げた。

「初鳥様は、」

俺は"炎"を与えられた、まだそれほど時間の経っていないあの日を思い出した。そして口を閉ざした。

「いや、なんでもない」

 あの日、見知らぬ声に語りかけられたのは事実だと信じている。けれど目の前の彼はきっと妄信の末の幻覚だなんだと言って、その手の証言をいっとう嫌うだろうから。それに問題はここの状態に関することではない。

「俺が聞きたいのはむしろ……そう、どうしたら、人は自分の行いの価値を損なわれずにすむのか、と」

「行いの価値ねぇ」

 皿に乗せたティーバッグを片手で弄びながら嘉納は言った。

「つまり、よかれと思ってやったことが悪いように受け取られてしまうことが怖いって?」

「そういうこと……だと思う」

 嘉納は要領を得ないこちらの主旨をあっという間に噛み砕いた。まるで魔術師のような手腕だと思った。

 以前も彼と会話をして、自分の望みを貫く意志すら満足に持てていなかったのを、彼にそれとなく励ましてもらったのだ。今回も彼に言って正解だったと、胸をなでおろした。

 そして彼は間髪入れず一笑した。

「んなもん、どうしようもないじゃあん! だってそんなの、賭けだもん」

「賭け……」

 思いがけない単語に、それ以上言葉が続かなかった。

「そ、賭け。あんたのしたことが良いことに取られるか、悪いことに取られるか。そんなのは受け取るほうの人間が判断することだもん。やる側が決められることじゃない」

 嘉納はスプーンでくるくると残り少ない紅茶をかき混ぜる。

「てか、そもそも生きることなんて全部賭けごとでしょ。遊びみたいなもんだし」

「遊びって、そんな」

 そんな不確実で不安定なことのように、人は人生を差し出さなくてはいけないのか。ときに絶望し、踏みにじられたとしても。頭の中にいくつかの顔がよぎる。かすれた喉でつぶやく。

「俺は、そんな報われない世界を……」

 変えたい、と続けた声は、無慈悲にも思える嘉納の声に遮られた。

「それでも、どう受け取られるかはやっぱり、相手に賭けるしかないよ。そればっかりはあんたがどんな超能力を持ってたって無理だね」

 嘉納はばっさりと言い捨てた後、思い出したように付け加えた。

「あ~、でも、なんか心から信じられる相手? とかそういうヒトがいて、自分が思ってたことをわかってもらえるなら別かもね」

「……?」

 少し予想していなかった方向に話題がいって反応が遅れる。嘉納はそんな俺をよそに首をかしげた。

「蛇淵サン、そういう人いそ〜〜〜」

「……、いない」

「ふうーーん、そお~」

 嘉納はニヤニヤと笑っている。何故こんなタイミングでからかわれなければいけないのか。少し、いら立った。

「そういうあなたは。いるんですか」

硬い声で訊き返すと、彼はいたずら遊びに水を差された子供のように大声をあげた。

「え〜〜!?? 嘉納さんにはそんなの必要ないし? 仮にここがぶっつぶれようが道連れにされるつもりはさらさらないんで。そこんとこよろしく〜」

 ひらひらと手を振られる。うまくかわされたと思った。

「まあでもさあ。前も似たようなこと言ったけど、どうせやれるとこまでやるしかないじゃん。もう後には退けないって。まさか忘れたわけじゃないでしょ?」

 にわかに嘉納の言葉が剣呑さを帯びる。それには間を置かずに頷けた。

「それはわかっている」

 嘉納はそれを聞いてなぜか眉を険しくした。

「は? それがわかってるなら、なんでわざわざ嘉納さんお悩み相談室に来たわけ?」 

「え? す、すまない…?」

「だって、それがわかってるならもう何も悩むことなくない!?」

「いや、”俺自身”は、前話したときにもうふっきれているんだ。俺は……」   続けようとした語気が尻すぼみになる。もしかしたら、はじめからわかりきっていた答えを求めるという愚行を犯していたというのだろうか? 男ふたりでわけがわからず顔を見合わせる。

 真顔のまま固まっていた嘉納が突如叫んだ。

「あー!!!」

「はっ?」

 青い目が、これでもかと見開かれていく。

「俺てっきり、蛇ちゃんが自分のことで悩んでんのかと! あーあーあー!!!」

「ちょっ、なんだ?」

 思わず身を引きそうになる。嘉納は頭を手で覆い、大声はやんだ。

「……」

「……」

 しんと静まり返った部屋で嘉納はゆっくりと向き直った。初対面の人間に話しかけるような、まったく新鮮なものを見る表情で俺を見た。

「それは大変だよ、蛇ちゃん……」

「……急に言われても、こちらの理解が全く追いついていないんだが……」 

 それにさっきから呼称が以前のものに戻っている。別にたいして気にしていないが。嘉納はなぁるほど、そっかあ、と小さくつぶやいている。何に対する納得なのか、どうかこっちにも説明してほしい。

 すると彼は何気ない口ぶりでこう言った。

「伝わるといいね」

「え、……」

 意味を飲み込めずにいる俺の目を、目の前の男はどこか穏やかとさえ思える表情でのぞきこんだ。

「俺はあんたらの目的も、あんた自身が何を望んでるのかも理解できないし、共感するつもりもないし、正直ぜんぶクソ喰らえって感じだし。だけど蛇ちゃんの大切な人に、蛇ちゃんの気持ちが伝わるといいね」

「……………………」

 なぜこんなことを言われているのかさっぱり理解できていないのに、ぐ、と目の奥が勝手に熱くなる。たまらずまぶたに力を込める。

「おま、え人の話、っ、なにを聞いて、」

 舌がもつれる。悪態すらうまく口に出せない。

「その人だけが、蛇ちゃんの気持ちを、きっとそのまま受け取ってくれるんだからさ」

「だ、まれ、」歯を食いしばりながら答える。なぜ、なぜ破天荒の塊だと思っていた男から、心のやわらかい部分を抉られるような言われようをされなければいけないのだ。

 なんとか深呼吸をし、煽られた炎のような心を落ち着ける。  

「…………伝わらないさ」

 自分に言い聞かせるようにゆっくりと答える。目をつぶり、脳裏に浮かぶ顔を拭いとる。

「だって俺は、全部、捨ててきたんだから」

「あ、そう」嘉納は至極あっさりと答えた。「でも嘉納さんは今のでもう、蛇淵さんに言うべきことは言ったね」    嘉納はにっこり笑い、まだ残るドーナツをそれとなく指で示す。俺は黙って皿を向こうに押しやった。もとより自分が食べるつもりはなかった。最近はもうほとんど食欲というものが湧かなくなっていた。


 ものごとにはなんでもふたつの顔があり、人はいつもそのどちらかを見ている。ある時にそれが今までとは正反対のように見えたとしても、それじたいは少しも変わっていない。それを眺める俺たちの位置が変わっただけなのだ。そのことに気がつける人間はそういない。目の前で起こっていることに手一杯だから。

 それでもふたつの顔を受け止めてくれる人間を誰もが求める。自分の良い面も悪い面も丸ごと受け入れてくれる人が現われるのをずっと待っている。それは真実賭けだと嘉納は思う。

 けれどまさか、自分自身のゆくえをはじめから蚊帳の外に置いて、他人の願いの受け止められ方しか考えない人間がいるなど、嘉納には想像もつかなかった。自分と蛇淵はその点において全く正反対だと思った。

 嘉納扇は自分の全貌を誰かにわかってもらうつもりはないし、そんな人間の存在を認めるつもりも毛頭なかった。

 だから蛇淵陽に対して羨ましいと思うこともない。もちろんそれを口にはしない。

「久々のドーナツはほんとにおいしーなあ」

 本当は。本当の正確なことを言えば、自分を受け入れてくれる人間を求めずに済む状態こそどうか続いていてほしい。のかもしれない。そしてうまくいく場合の、天文学的な確率。その最悪の末路を考えただけでドス黒い寒気のようなものが胸に湧き上がってくる。

「マジで、そんな事にはなりたくねえなあ……」

 低い声でつぶやくと、またわけのわからない事を言い出した、と言わんばかりの蛇淵の視線が刺さってくる。それをどこ吹く風と受け止めながら、嘉納は何個目かのドーナツを平らげた。


クリックであとがき  ちょっとしか接点のなかった二人にフォーカスしてうまく話を作れたなあということでお気に入りです。