怪獣は何よりもかつての己を象っていたものを踏み荒らす
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いただいたお題「セオドア+宇津木」「そして私は怪獣になった」を盛り込んだ話でした
2019/8/16 00:00
「うーん、この首は落とさないでおくかあ」
不穏な一言と共にシャリ、と刃物を擦る音がして少しぞっとした。
けれどなんてことはない、視線を向けた先には植え込みのそばでセオドア顧問が植木鋏を片手に思案していた。
至高天研究所の一角、のどかな中庭の真ん中にしてはやけに真剣な目をしていたのが妙に気になった。
「顧問、今日は当番ではないのでは?」
こちらの声に気付いた顧問の表情がぱっと柔らかくなる。
「ん。ちょい気になってね。たまたま暇だったし」
顧問の目線を追うと、植え込みには白薔薇の小さな蕾がいくつも付いていた。
「白薔薇ですか」
「これけっこう放置されてた感があってさあ。薔薇はとにかく手がかかるんだよ~」
「へえ……知らなかったです」
園芸には詳しくないので、自分が行う際はいつも簡単な水やりで済ませてしまっていた。水やりの当番制は所員が平等に面倒を見るように始まったものだったが、顧問のように陰ながら手入れをしてくれている人がいるのなら、自分も積極的に勉強をしなければいけないかもしれない。
「特に、剪定ね」
「あっ」
ざくり。
顧問は鋏を開き、慣れた手つきで蕾のひとつを根元から切り落とした。まもなく咲きそうだった蕾は顧問の手の上に(いつもの黒手袋でなく、なんと軍手をはめていた)ポトリと落ちた。
「葉や枝とかはもちろんそうなんだけど、特に花を見てやらないとダメなんだよね。咲くときはほんとすぐだから」
「花を、切らないといけないのですか?」
「そうだよ。意外だった?」
振り向いた顧問の赤い視線がかちあい、俺は考え込むそぶりをして目を伏せた。顧問の赤い瞳が、実はあまり得意ではない。
「意外といいますか、この薔薇は花の観賞用なのですよね」
「まあ、だからこそ、ってところがあるんだよね」
俺たちは顧問の手の中に収まっている蕾をじっと見た。
「花を咲かせるためには植物はとてもエネルギーを使うんだ。ましてこれは花のサイズが大きくなるように改良されてるから」
「……されているから?」
「うん。だからこのまま剪定せずにいたらエネルギーを使い果たして自身が枯れるか、はたまた周囲から吸い尽くしてまわりの植物が枯れるか……って感じ」
「そう、なんですか」
俺は神妙な面持ちで薔薇と顧問を見た。皮肉な薔薇の在り方よりも、顧問がどういう思いでこの話をしているのかが気にかかった。顧問の語調は薔薇を慈しんでいるように見えたけれど、その表情はどこか醒めているような、虚ろであるかのように感じた。
「本末転倒を感じなくもないけどさ、しょうがないんだよね。こいつとこいつのまわりを生かすためにはさ」
「はい……」
顧問は蕾を一度手の中でころり、と転がし、足元のビニール袋に静かに入れた。
「そういえば確か、ここに薔薇を植えようと言い出したのは初鳥だったよね。あいつ、植えるだけ植えといて育てるのには興味ないのかな」
「あ、それは、まあ……」
とっさに曖昧な濁し方をしたら、案の定顧問がニヤリと笑った。
「おおかた、周りが勝手に手伝いだすからそれにかまけてサボってたんだろうねえ~」
「はは…………」
それはあらゆる意味で図星だった。
ぱふ、と手を打った顧問が笑みを保ったまま、こちらへ鋏を差し出した。
「よかったら徳幸もやってみる?」
***俺が薔薇の手入れを行うようになったのはそれがきっかけだった。最初はおっかなびっくりに取り組んでいたけれど、なるべく自分の番でも、そうでなくても、率先して行った。 なにより、創が望んだ薔薇だと思うと嬉しくもあった。
ざくり。 枯れた葉、弱った葉を取り除く。
ざくり。 伸びすぎた枝を切り取る。
ざくり。 細い枝は付け根から削ぐ。
ざくり。 そうして、蕾と花とを切り落とす。
しばらく経って慣れてくると、植え込みを見やってすぐにどれを剪定すればいいのかわかるようになってきた。 薔薇と、薔薇の周りが美しく咲き誇るためにはそれが不可欠なのだと。
ざくり。ざくり。ざくり。
ある日、創から頼まれたことがあった。
あれもある意味では。いいや、あれこそがまさに最初の剪定だったのかもしれない。
ざくり。ざくり。ざくり。 ざくり。ざくり。ざくり。
そうだ、他ならぬ彼自身がそう言っていた。
だから、その行いにためらいはない。
「よかったら、徳幸も、」
ざくり。俺はその花の根元を、
「宇津木君?」
「え?」
顔を上げるといつからいたのか、原田実が植え込みの横に立っていた。すっと切れた無感情な瞳がこちらを見下ろしていた。片手をポケットに突っ込んでいる原田の、もう片方の手がおもむろにこちらへ差し出される。
「いや、すげー手が震えてるから」
「…!」
咄嗟に左手で右手首を掴む。原田の言う通り、鋏を持った右手がガタガタと震えていた。ごくり、と唾を飲み込んだのを悟られないように顔を伏せた。
「薔薇の剪定は重要かつ取り返しがつかないので。少し切りあぐねていただけです」
「ふうん。つまり緊張してたってことね」
原田はさらりと受け容れた。俺は左手の力をぎり、と強めた。
「笑えばいいでしょう。こんな単純な作業に手間取っている私を」
「笑わないよ。俺も植物の世話下手だし」
そう言った原田は頭を傾けて、植え込みに咲いている白薔薇をいろいろな角度から眺めてうなずいた。
「うん、どれをどうしたらいいとか正直全然わからない」
「……単にやり方を知らないだけでしょう。俺だって、最初はそうだった」
ぼそりとつぶやくと、原田は一瞬目を丸くした。しかしそれは一瞬だけで、すぐ慌てたように手を振った。
「いやいや、俺のはそういうレベルじゃないんだって。世話のタイミングとか、そういうのがつかめなくてすぐ枯らしちゃうし。うちの観葉植物もいっそ全部レプリカにしたいぐらいなんだよ」原田は横を向き、徐々に自嘲するような口調に変わっていく。
「それに…」原田は言った。「……今まで世話してくれてた人も、じきに家を出ていくでしょうし?」
とす、とそれまでかろうじて指に引っかかっていた鋏が地面に落ちた。俺はそれを拾うついでに静かに立ち上がった。
「……なら、早く造花にでもなんでもするといい」
俺はそう言って中庭を立ち去った。原田は横を向いたままもう何も言わなかった。
笑わないだと?薔薇を切っているだけで両手が人の血にまみれていく幻覚に襲われている奴を、笑わない人間がどこにいるだろう。
切り落とされた白薔薇が男の首になって、それが一瞬で真っ赤になってゴロリ、と自分の足元に転がる幻覚。
「よかったら、徳幸も、」
男は微笑みながらこちらを向いて、
ふふ。 唐突に異質な笑い声が聞こえて、俺は立ち止まった。靴音の残響がこだまする廊下は静まりかえっている。
ふふふ。
あたりを見回す。誰もいない。
ふふふ。
まさかと思う俺は鋏を持った手をゆっくりと自分の頬へ当てがう。
「ははは……」
己のつり上がっていた口元を認識したとたんに、笑い声は力のないものに変わった。
なぜか全身からも力が抜け、廊下の壁にもたれて意味もなく笑い続ける。 俺たちは、いいや、俺は。
本当に、どうしようもない。
どうしようもないものに、変わっていく。
ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。ざくり。
私が切り落とした植木鉢の白薔薇の、花のひとつがこちらを見ている。
そんなはずはない。薔薇に目などはない。
でも、わかるのだ。白薔薇の首は、私を見て笑っている。わけもわからずひたすらに薔薇の剪定をする私を、笑っている。
なんのために私は薔薇を切っているのだろう。ただわかるのは、私にとって薔薇は創が与えてくださった大切なものなのだ。大切だからこれを行わなければならないはずだったのだが。
ある日若い被検体の処理を行っていて、ふとそんな昔の疑問の答えに思い当たった。
生かすためだ。
薔薇が少しでも生き永らえるためにこれは必要不可欠な行為であったのだ。
むしろそれ以外に何があっただろう。
私の至高天に佇む、たった一輪の薔薇を保つために、私は自ら刃を――。
こうして振るってきたんじゃないか。
ざくり。「徳幸…………それは、咲くの」
もうこちらの呼びかけに応えないことも多い彼だったけれど、この時は運よく黒い瞳が私を捉えた。徳幸は仰々しい仕草で手ぶりを加えながら話した。
「ああ、こちらはですね。薔薇は時折、花を咲かせすぎて自らを枯らしてしまう場合があるのですよ。ですからこうして、あらかじめ蕾などを切り落としておくのです」
「それは知っているよ。けれど……」
私の記憶は幼い頃に読んだ図鑑の頁をたどった。
「だからこそ、いくらか咲くための蕾を残しておくのだよね」
「…………あ」
徳幸は目を落とし、はじめて自分が携えているものを認識したような顔をした。手にしている白薔薇の株は蕾も葉もほとんど取り捨てられたみじめなものだった。徳幸はとたんに憔悴した。
「そうでした、だから私は、あ、ああ、申し訳ありません、創。私はこんな見苦しいものを貴方の前に。創はこんなもの望んでいないのに、あれ、どうして」
「徳幸、落ち着いて」
私は手を伸ばしたが、たっぷりとした黒い裾にさえうまく届かなかった。徳幸は薄い身体が二つ折りになる程に頭を下げ、花のない白薔薇ごと部屋を去った。
「…………」
ガチャリ、とロックのかかる音が聞こえ、またやる事もなくなったのであたりをぼんやりと見やった。徳幸が持ってきた白薔薇が一面に咲き誇っている。けれどさっきのような何もかも取り去ってあるものや、逆に枝も花も生え放題のものがよく混ざっているのだ。
そういえば徳幸は、薔薇の手入れの方法をきちんと知っているのだろうか。一度、私が教えてあげたほうがよかったのかもしれない。そんなことを頭に浮かべながら私は目を閉じた。
了