可能世界論としてのデジャビュ 表
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さぼしきSとS+のはなし
2019/5/3 00:00
デジャビュ【déjà vu】 ……一度も経験したことのないことが、いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられること。既視感。
「へえ。じゃあ登場人物は脱落したキャラ含めてみんないるんすね」
「そうそう。みんななんです」
「でも、脱落するエピソードあたりも扱うんですかね」
「なんか、一応並行世界って設定で、脱落せずに話が進むって感じっぽいんですよね」
「あー……なるほど……」
「ああ、そういうの昔からあるある。原作だと死んでるところで劇場版だと生き残ったりするんだよなあ」
いや、お前も混ざるんかい。春樹は思わず目の前の中年を見た。
麗慈がチキンソテーを運ぶ手を止め、深刻な表情でつぶやく。
「歴史は繰り返されるというわけですか…」
信濃はマリネを咀嚼する合間を縫いつつ熱弁を振るう。
「まあね?そりゃあそうするのが順当ですよ。全員生き残ってる前提でのもしものイベントとか、やりたいですもん。僕も見たいです。けどぉ……」
応えるほうも少し熱が入ってきたのか声を遮ってフォークを持つ右手を上げた。「あー。わかります。わかりますよ信濃氏。なんつーか、本編での主人公たちの奮闘とか、悲喜こもごもが尊重されてないんじゃないか的な気持ちになりますよね」
「でしょお!?僕としてはみんなが楽しく過ごしてるところが見られるのはめちゃめちゃ嬉しいところはある!あるんですけど~…」
食欲旺盛なふたりが話しているのは好きなアニメがスマホゲーム化した際の世界設定だとかの話らしい。というか酒を入れていないのに昼間からこの盛り上がりようはなんなのだろうと、阿藤は横で聞きながら若干気圧されていた。
「いいや、落ち込んでも仕方ない!僕おかわり行ってきます~」
「あ、信濃氏あそこのローストビーフめちゃめちゃうまかったっスよ。シェフが直々に切ってくれるんです。シェフが」
「え!じゃあ取らなきゃ」信濃は勢い込んで立ち上がった。
「こらー、焦らなくたってそうそうなくならないだろ」春樹はやんわりとたしなめた。
「あ!すみません!」軽く頭を下げた信濃はそそくさとレストランの奥へ向かった。「俺も、もっぺんもらってこよ」と麗慈がその後を追った。 こうしてテーブルには寡黙ぎみの男ふたりが残された。華やかでちょっぴり高級なホテルビュッフェ(勘定はもちろん最年長が持つ)には若干不釣り合いな空気かもしれなかった。ふたりのいるテラスからは川がゆったりと流れるのが見えていた。気持ちのよい秋の陽が差し込み、微風が花と水の香りを運んでいた。 「 例えば、選ばなかった選択の先で続いていく未来があるとして」ふとなんでもないふうに実光が口を開いた。「お前はそれについてなにか感慨を抱いたりするか?」
春樹はちぎったロールパンを運び入れようとした口の半開きのまま、向かいに座る男をまじまじと見た。
「は…?なんですか。さっきの信濃の話ですか…?」
実光はひらりと手を振った。
「まあ、そんな感じの例え話だと思ってくれや」
春樹はイヤそうな顔を見せつつ、以前も口にしたような言葉を繰り返した。
「もしもあの時ああしていたら、と考えて落ち込むときもあるかもしれませんが」
選んだということは何かを選ばなかったということ。そんなのは当たり前だ。それでも。
「でもなるべくそうはなりたくありませんし、選んだ自分と現在に胸を張っていたいですよ」
「お前、優等生だよなあ」実光は心底感心したように目を開いた。「うん。それは今よりよい未来があったかもしれないという想定だろ。もし、今より悪い未来があったとしたら?」
「はあぁ?」春樹はいよいよついていくのも億劫だといわんばかりにサラダにフォークを突き立てた。「えーと?つまり……あの時ああしていなかったら今頃ひどい目に遭ってただろう、のひどい目にあっていた先の未来を想像するかって話ですか?」
「そう、そういうこと」実光は烏龍茶を一口飲んだ。「さっきの話でいうと、誰も死なずにすんだもしも世界の人間は、誰かが死んだほうの原作世界を顧みるのかって話よ」
「そりゃ……普通はないでしょうね。悲しいとか、残念だったとは思うかもしれませんが」春樹は少し考え、息をついた。「いちいちそんな不幸に思いを馳せてたらキリがないでしょうね。俺はそんなに後ろ向きにはなりたかないですし」
「だよなあ……」
「ていうか、今そんな話する必要ありますか?」楽しい食事時だっていうのに、と春樹は肩をすくめた。
実光は春樹の言葉に目を丸くし、ばつが悪そうに頭をかいた。
「その…………悪かった。なんか強烈なデジャビュが、あって」
「デジャビュ?なんのデジャビュですか」
「いや何も思い当たらないなら、それはそれでいいよ」実光は煮え切らない態度のままパテを口に入れた。
「なんなんだ、まったく……」春樹は納得がいかないままテラスの向こうへ目をやった。秋の陽の下の、花の香りがする、 川のほとりには、
誰もいなかった。
「……」春樹は明るい景色を眺めながら水を口に運んだ。
「ま、いいや。今の辛気臭い話は忘れて、どうかその立派なまま生きていってくれよ。春樹くん」実光が仰々しく言う。
「はあ、まあいいですけど」春樹はひとつまばたきをして正面に向き直った。「そういう演技ぶった態度が気にくわないって、あと何まんべん言わせるんですかね」
「はは、わかったわかった」
実光は笑いながら顔を伏せた。小さく何まんべん、何まんべんか、と呟いた。その言葉は染みるような響きをもって実光の中に受け入れられた。その泣きそうになる衝動をこらえるべく口元を手で隠した。
「うわ、ニヤついてる? きもちわる……ねえ麗慈くーん、この人急にニヤニヤしだしたー」
「そういうのは俺に振られても困るんで」戻ってきた麗慈がイスを引きながら淡々と返した。
「ごめんごめん」春樹は笑った。「ていうか信濃は?」
「ついでと言ってデザートを取りに行きましたよ」
「え、まだ30分ぐらいしか経ってなくない?」
「甘味重視のプランなんすかねえ」
「うわ……絶対胃にもたれる……」
「若いっていいよねえ、春樹くん」
「息子に同意求めてくんな」 実光も阿藤も、とっくにいつも通りに戻っていた。過去でもなく未来でもない、いつかどこかで経験したようで、ついに至ることはなかった景色は、誰の心にとどまることもなかった。